インドの1月26日は、Republic day(共和国記念日)で、祝日です。

(動画は、インドにも進出した、私の好きなWWEはここまで気を配るかというものです笑)


 1950年の同日、インド憲法が施行されました。今年は69回目の記念日とのことです。

 というわけで、昨日は私も改めて、インド憲法を読みました。

 と言っても、395の条文に12の別表、世界で最も長い成文憲法です。
 目次だけで19ページ‥、ですので、パラパラと、これまで読んだことのない箇所や、日本の憲法と違うところを。
 例えば「国民の義務」はかなり詳細に条項化されているんだなとか(51A条。国家・国歌をリスペクトすることも書かれています)、国家緊急時の条項も非常に詳細だなとか(352条以下。その際は表現の自由をはじめとする人権が制限されることも明記されています)。何についても、比較することは考え始めるきっかけになります。


 そして、その後、何げに、「インド 憲法」でgoogle検索をしたところ、下記の「資料」を見つけることができました。
 関西大学の浅野宜之教授、インド法学者の孝忠延夫氏による「インド憲法の動態と改正」と題する論稿です。(以下「上記論稿」)
https://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstream/10112/11443/1/KU-1100-20170712-06.pdf

 昨年発表されたもののようで新しく、各種事実を知ることができてその点でも大変ためになったのですが、自分にはそれ以上に、このインドの憲法記念日的祝日に、まじめな話になりますが、「法の支配」の在り方を考える、とてもよい題材となりました。

 もう少し具体的に言うと、日本の統治機構における、司法権の存在感について、現状のやり方はそれでいいのか?ということであり、裁判所はもっとやれることをやるべきではないか(せめてインドの裁判所の50%くらいは)ということであり、また、そうなれば、弁護士が役に立つ余地も、大いに増えるだろう、ということです。



1、日本ではなぜ、法令の違憲審査が、すぐにできないのか?

 上記論稿には、インドでは2015年、施行されたばかりの「国家裁判官任命委員会法」という法律について、違憲訴訟が最高裁に提起され、約半年の審理を経て、最高裁が同法を違憲・無効と判断した、という件が取り上げられています。

 国民の代表者からなる国会議員が、良かれと考えつくった、国のルールである法律について、しかしそうではあっても、憲法という、国の枠組みを決めた最高法規に反するものは作れないと、インド憲法には書いてあるわけで、しかも憲法に反しているかどうかは裁判所が決めるともインド憲法に書いてあるわけです。ですので、上記の件は、(その判断の結論内容に異論があり得ることはともかく)、現象としては、インドの裁判所は、ちゃんとそういう役割を果たしているんだな、ということでしかありません。


 日本はどうでしょうか。

 例えば、数年前、いわゆる安保法制については、その成立過程で、その合憲性が大いに議論になりました。違憲の意見を述べる憲法学者もいる、日弁連も違憲だとの意見を表明する中で、国会での決議が行われ、法案は成立しました。

 日本国憲法においても、インドと同様、国の立法が違憲がどうかを判断できる最終権限者は、最高裁判所であると規定されています(81条)。
 だったら、国会議員は良かれと思って法律を制定させたのだとしても、その内容が憲法に反するという声があるのであれば、最高裁はそれを聞き、法解釈の最終決定権原者として、合憲か違憲か、きちんとお墨付きを与えるのか、あるいは、憲法への適合性の理解を誤っているので直ちに無効とするかのを、憲法に定められた統治機構の役割分担にしたがって、(インドと同じように)腰を上げればいいのではないか、いや上げてほしいと、私は思います。


 しかし、日本では現在、このように、裁判所が法令の合憲性だけ、それ自体のみを判断することはできない、と考えられており、現実の裁判制度もその前提で運用されています。

 ここでは詳しくは述べませんが、「付随的違憲審査制」といって、司法制度は、何か具体的に自分の利害に直結する紛争がある時に使えるものであり、あの法律は違憲じゃないかということだけでは、個々人の利害関係には「遠すぎる」ので、そもそも訴訟ができませんよ、と理解されているのです。
 確か最高裁自身がそのように判断したという先例が昭和20年代にあるので、今でも、例えば「安保法制は違憲だと思う、それはこういう理由です、違憲審査権限を有する裁判所で判断してください」と言っても、そのような訴えは中身の検討に入ることなく、門前払いになります。


 しかし、このような裁判所の姿勢は、どうしてなんでしょうか?

 日本国憲法には、「第81条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」という条文があるだけなのに、なぜ、法律等の条文の規定が憲法に反するかどうかの判断を、直接取り扱うことを、控えようとするのでしょうか。


 もちろん、この問題は、司法試験でもいわゆる典型論点として、立場と理由付けを勉強します。そして私も、受験生当時は答案を書く時、多数説であり実務でもある、この「付随的審査制」をよしとしていて、その理由付けも、今でもちゃんと覚えています。
 
 しかし、インドで、インドの裁判所の動きを日々目の当たりにしてきた今の自分にとっては、この「違憲立法審査」に対する、インドと日本でのスタンスの違いは、まじめな話、インド人のアグレッシブさ(というか気さくさ)と、日本人の謙抑を美とする価値観と、そこの違いに由来しているだけの話、のように、感じられています。


 また、別の観点で言うと、今までなんとなく、まあそんなもんかと思ってきた、付随的違憲審査制を是とする考え方が、インドで裁判所が憲法がらみでバリバリ仕事をしているのを見て、これは日本でもいけるんじゃないか、この方がいいんじゃないか、と思わされてきた、ということでもあります。

 インド最高裁は、以前の投稿でも取り上げた、国道から500m以内での酒類販売を禁止するなど、公益訴訟というカテゴリーで、個々の紛争処理を超えた政策形成までして人権保障機能を果たそうとしているのです。この点、そこまでいくと確かに立法府との権原分配の問題も生じ得るでしょう。しかし、違憲審査は、基本的には成文法上の価値の歴史的・理知的な理解の問題だと思います。裁判所が立法府にあえて「一歩引く」理由は、本当に説得的なのでしょうか。

・・・・・

 この問題は、(司法の能力論を経て)詰まるところは、民主主義の重視か・理性への信頼か、という話になるように思います。後者を中心に言うと、「司法はちゃんとした判断をしてくれるから任せよう」と思ってもらえるかどうか、ということです。

 日本では従前、司法試験は、合格率も低い難しい試験だ、これに受かるということはよっぽど勉強したのか、とてつもなく頭がいいのか、どっちにせよすごいね、というような見られ方をしていたように思います。
 それはそれで有難いことでありましたが、より重要なのは、法曹関係者が、何を学んできたかであり、それは、憲法や刑法や民法など勉強する中で、少なからず、歴史的事実や先人の思考を踏まえ、何を正しいと考えるべきか、守られるべき価値観とは何か、そういうことを訓練され、会得してきた、と私は思っています。

 
 インドで法制度調査をしてきて、インド裁判所は、インドを、より良い国にしていくため自らの役割を全うしているなあ、という印象を、とても強烈に受けてきました。そして、違憲立法審査はインドでも日本でも、裁判所の本来的な機能です。
 この国にいい価値観を及ぼすためにたくさん勉強してきた、そういう事実と自負心は少なくともある自分が、例えばインド弁護士のように、何か問題を感じればすぐ裁判所に違憲審査を申し出て、そして裁判所はこれを終局的に判断する。
 そういう仕組みが、日本でも受け入れられていくためには、何をどうしていくことが必要なのか。

 長文になりましたが、ここまでインド法制度調査をしてきて、日本に持ち帰ることができる問題意識として、一番感じていることです。
 


2、日本国憲法を改正するにあたっての限界論

 思っていたより1でたくさん書いてしまったので、こちらは少しだけ触れますが、上記論稿には、「インド憲法には、変えてはいけない内容がある」、という議論も紹介されています。

 例えば、1で言及した「国家裁判官任命委員会法」の違憲判決に際しては、同法の成立に必要な内容の憲法改正も同時に行われていたのですが、大雑把に言うと、その憲法改正は、裁判官の任命に政府メンバーを関与させる内容を含むものだったところ、そのような内容の憲法改正は「司法権の独立」という「憲法の基本構造」にかかわるものであり、それを破壊する改正は認められない、として、無効と判断されたようです。


 これは、日本でも、憲法改正に限界はあるか、という論点として議論されているところで、限界有り説が多数説だったと思います。

 ただ、インドでも、改正してはならない「憲法の基本構造」とは何か、ということは、憲法自体に明記されているわけでもなく、解釈によるほかないところで、ただ、インド最高裁は、変えられない基本構造が何かの判断は最高裁がするもの、とも明言しているようです。
 そして、日本でも、憲法改正に限界はある、どの条項でも改正できるわけではない、という理解が多数であるようだとはいえ、やはり、具体的には何が変えられないのか、という議論は、煮詰まっているようには見受けられません。


 今後、日本も憲法改正の動きは活発になっていくと思いますが、その議論の際には、やはり、一定の訓練を受けている、私たち法曹が、積極的に議論を形成していくべきだという思いも抱いたと、そういう話でした。


 以上、残された時間、インド憲法のことも、もっと勉強していきたいと思います。今日の投稿は以上です。